2017年06月02日

ルーズベルト

■ルーズベルトは中国を慕い、アメリカの一部とみなしていた。それは、中国がキリスト教を受け入れていたからだ。一方、日本はキリスト教はキリシタンといって徳川によって討伐された。

■そして日本はなんだかよくわからないものを信じていて、なんだかわからない国、ルーズベルトにとっては、だった。

■そしてその当時の中国大陸は、日本軍と中華民国と中国共産党などが入り乱れていた。ルーズベルトは中華民国に肩入れしていたから、日本は彼にとって悪意の存在として映った。

2017年05月19日

アメリカの決意、日本の一人芝居、ルーズベルト

なぜアメリカは、対日戦争を仕掛けたのか(祥伝社新書287) -
なぜアメリカは、対日戦争を仕掛けたのか(祥伝社新書287) -
■今日、日本国民の多くが、先の対米戦争が、日本が仕掛けた無謀な戦争だったと、信じ込まされていると筆者は言う。

■仕掛けた相手は、1933年(昭和8年)に登場したフランクリン・ルーズベルトである。彼は、ニューヨーク州知事であったが、恐慌とともに最悪の経済的手腕を発揮してしまった共和党の現職ハーバード・フーバー大統領を破り、民主党候補として当選した。

■ルーズベルトの母方のデラノ家は、清朝末期位に、中国とのアヘン貿易によって巨富を築いた。デラノ家はまた、香港にも豪邸を所有していた。ルーズベルトの母サラは少女時代に香港に滞在したことがあり、、中国に愛着を感じるようになっていた。(追記します)

■ニューヨーク州にあるルーズベルトの父譲りの邸宅は、中国から略奪してきた古寺の鐘(かね)や、高価な屏風(びょうぶ)や陶器が飾られていた。

■このような青年時代を送ったルーズベルトが中国に何かしらの愛着を日本よりも持っていたのは想像に難くない。
■実際、ルーズベルトは中国には無償の愛を、日本には無分別な敵意を持っていた。それが事実だと言わんばかりに・・・。

■実際はルーズベルトもそも側近たちも、中国に対して全く無知であった。
1934年(昭和9年)5月当時、近衛文麿首相がアメリカを訪問した時に、ルーズベルト大統領とコーデル・ハル国務長官と会談した。近衛は帰国後に、記者会見の席上で、「ルーズベルトとハルは極東に関して全く無知だ」と語って、新聞の一面に大きく取り上げられたほどである。

(追記します)

なぜアメリカは対日戦争を仕掛けたのかその1

なぜアメリカは、対日戦争を仕掛けたのか(祥伝社新書287) -
なぜアメリカは、対日戦争を仕掛けたのか(祥伝社新書287) -

■1945年(昭和20年)八月に終わった日米戦争とは何か?
日本は侵略国家だったのか?
日本は1941年(昭和16年)12月に、アメリカ、イギリス、オランダに対して開戦した。
あの戦争はへ導いた歴史を、公平に検証すれば、アメリカが日本に対して仕掛けた戦争だったと筆者はいう。

■日本国民にとって、先の対米戦争と幕末における明治維新が、日本の近代史における二つの極めて重い体験となった。

■明治維新が、昭和20年の夏までの日本を作ったように、先の敗戦が高度経済成長のような戦後日本を形作った。

■それにしても日本は幕末も戦前も戦後もアメリカという国に惑わされたと言わざるを得ない。自由の国と言いながらも、自国の利益はきっちり守る、いや狩りに行くという姿勢は西部開拓時代のインディアン討伐・虐殺から続くフロンティア精神という輩なのだろう。


2017年05月12日

大東亜戦争の概要その2

■1941年(昭和16年)12月8日、日本は開戦の詔勅(しょうちょく)におよって、イギリス帝国とアメリカ合衆国の2国に対して宣戦布告し、最初の作戦であるマレー作戦と、それとほぼ同時並行に行われた真珠湾攻撃を実施、日本とイギリス、アメリカとの間に戦争が発生した。

■発生以前の検討の時期から発生後まもなくは「対英米蘭戦争」と交戦相手の名を用いた戦争名が用いられていた。
■対オランダに関しては、1941年(昭和16年)12月1日の御前会議で開戦を決定したものの、同年12月8日の「米国及び英国に対する宣戦の布告」では宣戦布告の対象から除かれており、1942年(昭和17年)1月11日の対オランダ戦の開始及び翌日の宣戦布告まで公式には「対英蘭戦争」とは呼んでいない。

■日本の政府及び軍部では、この戦争を正式にどう呼称するかについて検討が開始された。
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大東亜戦争の概要その1

■大東亜戦争は、大日本帝国と英国・米国・オランダ・中華民国などの連合国との間に発生した戦争に対する呼称。1941年(昭和16年)12月12日に東条内閣が、志那事変(日中戦争)も含めて「大東亜戦争」とすると閣議決定された。

■敗戦後にはGHQによって、「戦時用語」として使用が禁止され、「太平洋戦争」などの語が代わって用いられた。
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